その6:続・情報の特徴

続・「情報」の特徴

 前回に引き続き、「情報」の様々な性質や特徴についてご説明したいと思います。

 復習のために、本ブログ「その5 情報の特徴」でご紹介した四つの特徴について記載しておきます。これらの詳細内容については、前回のブログをご参照ください。
①「情報」は、「物質」、「エネルギー」とならび、現代社会を構成する要素のひとつである:
② 人間は「情報」がないと生きていけない:
③「情報」は私達の人体(人間の脳)に大きな影響を与える:
④「情報」には形はないが、量(「情報量」)がある:

 それでは、これ以外の性質や特徴について引き続きご説明します。

⑤「情報量」は、受け取る側(人)の状態によって量の大小が変わる(個人差がある):
 前回ご説明したように、できるだけ「情報」を受取る側の状態を大きく変化させるものが「情報量」が多い「情報」となります。したがって、同じ一つの「情報」でも、受け取る側(人)の状態により「情報量」が多くなったり、少なくなったり(場合によっては、ゼロになったり)することになるのです。前回のブログで紹介した親子の例で、そのケースを説明しましょう。実は、息子が姉から『母親がさっき「カレー」を作っていたから、今夜の夕食は「カレー」だよ』という「情報」を事前に得ていたとします。すると、この母親の『今夜の夕食は「カレー」にする』という「情報」は、息子の状態(今夜の夕食は「カレー」だということをすでに知っている状態)を何ら変えることはなく、「情報量」は「ゼロ」ということになります。息子にすれば、そんな事はとっくに知っているよ、ということだったのです。このように、全く同じ「情報」でも、受け取る側(人)の状態により「情報量」が多くなったり少なくなったり、場合によってはゼロになったりするのです。また、この事前情報はいつもたらされるかわからないので、時間経過によっても状態は変化することになります。2時間前であれば有効な「情報」だったものが、1時間前に受け取ったら「情報」として役に立たない、つまり情報量=ゼロになってしまうこともあるのです。時は金なりですね。
 このように「情報量」はその情報を受ける人によって個人差がでるのです。私達人間は各々の生活の中で様々な経験をし、知識を得てきています。その知識は当然一様ではなく、人それぞれのものです。「情報量」はそれを受け取る人の経験や知識の内容によっても、変化しているのです。

⑥誰も知らない「情報」に価値がある:
 一般的に「情報量」が大きい情報の方が多くの人に大きな影響を与えることができる価値のある「情報」になります。「情報量」がゼロの情報の価値はゼロに等しいのです。例えば、自分のパーソナル・コンピューターに同じ内容のファイル(コピーしたファイルなど)が複数あったとしたら、2個目以上のファイルの「情報量」はゼロでありハードディスクドライブ(HDD)の記憶容量を無駄に消費しているだけなので、直ちに削除した方がよいでしょう。
 「情報量」の大きい価値ある「情報」を与えようと思うならば、まだ、誰も知らない未知の「情報」を提供することです。誰も知らなければ、誰にとっても新しい「情報」となり、「情報量」も大きくなります。しかし、現代ではインターネットの普及により「情報」の流通が速くなり、その量も格段に増えてしまっているため、誰も知らない「情報」が極端に少なくなってしまっていて、ほとんどの「情報」は誰かがどこかですでに知ってしまった古新聞の「情報」になっています。このように「情報」の流通量が増えると、個々の「情報」の情報量は減ってしまうことが多くなります。現在、インターネットを検索すると、怒涛のように「情報」が流れてきますが、どこかで見たか聞いたような「情報」が多くなり、新鮮味が無くなっていると感じるのはそのためなのです。
 多くの人に大きな影響を与える、つまり「情報量の総量」が大きい誰も知らない未知の「情報」とはどんなものでしょうか。それを見つけ出すことができれば大きな価値とともに大きな利益を得られる可能性があります。まず、多くの人に影響を与えるためには、多くの人が関係する「情報」である必要があり、その関係が深いほどよいのです。その人に関係の無い、または興味のない「情報」を提供されても、その「情報」がその人に影響を与えることはありません。また、多くの人が未知であることも必要です。この二つの条件を満たすものが「情報量の総量」が大きい「情報」と言えます。
 一つの例は「大地震」の「情報」です。我々は、大地震がいつ、どこに、どれぐらいの大きさで到来するかなど、誰にも確定情報を持っておらず、未知の「情報」です。しかもその「情報」は身の安全を守るために、ほとんど全員に関わる大切な「情報」です。それが『あと何分後に、震度いくつの大きな地震が、どこどこの地方で発生する』といった「情報」を得られれば、とても「情報量」の総量が大きい「情報」となります。このような私達全員に関連する重要な情報は、分け隔てなく、速やかに伝達される必要があるので、公共性の高い「放送」などのメディアで伝えられることが妥当と考えられます。
 他の例としては、学術・研究分野の「情報」があります。学術・研究分野では、まだまだ未知の法則であるとか、未知の物質などが存在する未知の「情報」宝庫です。研究内容はいろいろありますが、その内容が人間にとってより根本的であり、原理的であればあるほど、多くの人に影響を与えることになります。遺伝子などの研究がそれにあたるでしょう。昔から人類共通の「謎」とされてきたような内容は、誰にとっても魅力的な「情報」です。
 誰も知らない「情報」の中には、秘密にしている「情報」があります。秘密にも、誰が何のために秘密にしているかで、その内容も影響範囲も変わってきますが、一番身近な秘密にしている「情報」は個人の「プライバシー情報」です。この影響は、前述の「大地震」の「情報」に比べ一つ一つは小さいですが、私達全員が共通に持っている、という意味でその影響は大きいのです。プライバシー情報はいろいろな意味で他人に知られたくない情報です。自分の容姿、病歴、趣味・嗜好、資産情報などは特に大切な「プライバシー情報」です。一方、住所、氏名などは場合によってはオープンにして使われることもある個人に関する情報(「個人情報」)です。購入履歴、行動履歴(位置情報、閲覧履歴)などは、こちらに入ることもあります。いずれにしても、これらの「プライバシー情報」や「個人情報」は一般的には知ることのできない「情報」なので、企業にとって価値のある(「情報量」のある)「情報」となります。だから企業はそれを狙ってあの手この手で取りにやってくるのです。
 しかし、「プライバシー情報」は完全に守られなければなりません。この秘密が漏れてオープンになってしまっては、その人の人生をも狂わせかねない状況となってしまいます。今後、DNAやゲノムといった、個人の生体情報も医療のために活用されるようになるかもしれませんが、よほど慎重に扱われる必要があります。インターネットにつながった世界中の悪意を持った人間がこの貴重な「情報」を狙って不正アクセスを仕掛けてくるからです。この「情報」をどうするかを個人がちゃんと選択できるようにし、その上で強固なセキュリティーをかけて守る必要があります。
 Webサービスでは、そのサイトやアプリを無料で使えることと引き換えに、こうした「個人情報」を取得してビジネスに活用しています。当然、無断で「個人情報」を取得しているわけではないので、こういったサイトを利用する際には、よく約款を確認し、内容を理解・納得してから参加する必要があります。「個人情報」を使われたくなければ、それに対応した設定にするとか、約款に同意せず、利用しないといった対応が必要となります。こういった「個人情報」を守るのは基本的に個人の判断であり、最終的には個人の責任なのです。

総務省ホームページ 平成30年版情報通信白書 本編第2部第2節より
(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd252130.html)


⑦人間は驚くほど「情報」に対して貪欲である:
 人間は驚くほど「情報」に対して貪欲です。「情報」には価値があるため、すなわち富をもたらし、それを得るがために頑張ることは一つの動機でしょう。だからゴールド・ラッシュの時代のように、新たな「情報」を求め世界中を探し回っています。しかし、人間は、そのような金銭的な欲を越えて「情報」を探し求めることもあります。学術・研究の分野では、よりよい人間社会の到来を目指して、新たな技術や物質、法則などの「情報」の発見に貪欲に立ち向かっています。このように、私達が行う新たな「情報」を探し求める行動は、自らの身を守る行動、つまり本能的行動であるとも言えます。前述したように、私達人間は「情報」がないと生きていけません。生きていくために、常に新しい「情報」を探し求めているのかもしれないのです。そして、この「情報」を求める行動力こそが、「イノベーション」を起し、進化を続ける推進力でもあります。そして、ホモ・サピエンスが現在地球上でもっとも優勢な生物になれたことの要因だと思うのです。
 アメリカ合衆国の未来学者、レイ・カーツワイルはその著書『ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を超えるとき』において、「シンギュラリティ(技術的特異点)」を2045年頃に迎えると予測しています。そもそも「シンギュラリティ」とは「テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来」のことであり、これを迎えると、私達人類がこれまで構築してきた、死をも含めた人間のライフサイクルといったいろいろな概念が変容してしまうと主張しています。人間にとっての「死」そのものの意味が変わってしまうのです。この「シンギュラリティ」という概念を持つにいたった根本的な考え方には、著者が「収穫加速の法則」と命名した考え方があります。その「収穫加速の法則」というものは、「人間が生み出したテクノロジーの変化の速度は加速していて、その威力は、指数関数的な速度で拡大している」というものです。人間の「情報」に対する貪欲さは、この「収穫加速の法則」を支える大きな原動力に違いありません。
 私達人間には、何か分からなかったもの、謎だったものがクリアになった時に、すっきりした心地よい感覚を覚えます。たとえば、「手品のネタ」やミステリー小説の犯人など、その謎が解けた時にすっきりするのは何故でしょうか。本当に人間は新しい「情報」が好きな生き物なんだと思います。いったいいつ頃から人間は何のために、この感覚を身に付けてしまったのでしょうか。この感覚は、何故人間のみに備わったのでしょうか。そして今人間は「シンギュラリティ」に向けて新たな「情報」を求め、休むことなくひたすら突き進んでいってしまっているのでしょうか。
 最近の社会問題の一つとして、若者のゲーム依存やスマホ依存が挙げられることがあります。しかし、あの行動は、人間が驚くほど「情報」に貪欲であることによるものであるとも言えます。ゲームによって得られる情報が人間にとってどれだけ役に立つかは分かりませんが、ゲームをクリアすることによってもたらされる新たな情報(例えば、ロールプレイングゲームであるステージの最後に出てくるラスボスの情報など)を求めて夢中になっているのです。その情報を握れば、それがまだクラスの誰も知らない情報であれば翌日のクラスのヒーローになれるのです。このような行動は若者だけではありません。60歳以上の方でも1日中新聞を読んだりテレビを点けっぱなしにしてる方もおられるのではないでしょうか? 私達人間は、老いも若きも「情報」に対して貪欲なのです。

⑧「情報」には社会を動かす力がある:
 この特徴は、情報理論で扱う「情報」とは異なる側面のものです。つまり、「情報」の質とか中身に関わる話です。
 イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ナラハリはその著書『サピエンス全史』の中で、人類(ホモ・サピエンス)が世界を征服できたのは、何よりもその比類なき「言語」を得たことだと主張しています。そして、人類は7万年前にこの「言語」をベースに、優れた「認知能力」を身に付けた、これを著者は「認知革命」と呼んでいます。人類は、優れた「言語」により膨大な量の「情報」を収集し、保管し、伝えることができるようになった。そのおかげで、優れた学習能力、コミュニケーション能力、記憶力(これらを纏めて「認知能力」と呼ぶ)を得た。さらに、この認知革命により、「虚構(実際にはない話、作り話)」まで作りだすようになり、この「虚構」という「情報」の力を利用して、他の動物では実現できないような大規模で高度な集団社会を形成して、動かすことができるようになったと主張しています【下図参照】。つまり、「情報」には社会を動かす力があるのです。
 確かに、私達人類(ホモ・サピエンス)は「情報」を頼りにして、集団行動をとったり、重要な判断をしてきました。「情報」は唯一の判断材料であり、「情報」によって我々の行動は支配されていると言っても過言ではありません。社会を動かすほどの力がある大切な「情報」があります。このような「情報」は安全保障上、完全に守られなければなりません。
 また、「情報」の伝達・コミュニケーションは、文明発展の原動力です。したがって、「情報」の伝達量が増えると、文明の変化は加速する。昔は数100年かかった文明の変化も、「情報」の伝達量が爆発的に増えた現代では、数10年で変わるようになっています。

ユヴァル・ノア・ナラハリ 『サピエンス全史』より


⑨その「情報」の質を見分けるのは難しい:
 その「情報」が子供の教育によい「情報」か悪い「情報」かとか、良心的な「情報」か、悪意を持った「情報」かなどを見分けるのは難しいです。何が良いことなのか、悪いことなのかすら意見が分かれることも多いです。このような「情報」の質を見分ける作業は人間がやるしかないのです。ITとは別次元のやっかいな問題です。さきほど若者のゲーム依存やスマホ依存の問題を挙げましたが、これが問題なのは、ゲームによって得られる情報の質が必ずしも良いものばかりではないところにあります。人間は特に若い時に良質の情報に触れることが大変重要です。
 さらに、その「情報」が真実であるのか、嘘であるのかなどはもっとやっかいです。真実かどうかを確認する手段としては、その「情報」をできるだけ多くの人に確認し、同じであればおそらく真実だと判断するやり方がありました。しかし、ITが発達し、インターネットで簡単に「情報」を拡散できるようになると、多くの人が一つの「情報」に同時に接することになり、これが嘘の情報であっても、多数決的に判断すると、それが真実であると判断を誤る可能性もでてきてしまいました。つまり大勢がそう言っているからといって、それが真実とは限らなくなってきたのです。ある一人が実際は嘘のことを「これが真実だ」とつぶやいたことが全世界に瞬く間に広がり、あたかもそれが真実であるかのように伝わってしまうようになってしまいました。今、できる方法としては、できるだけ信頼できるメディア(新聞、テレビなど)を複数調査し、それを総合判断して真実か否かをチェックすることですが、そんな大メディアに扱われないような日常の情報など、ほとんど確認する手段がないのが実情です。
 ネット社会で嘘の情報が増えてしまう一つの要因として、ネットの匿名性を挙げることがあります。確かに人間は匿名でしかもすぐに逃げれる(アカウントを削除する)と思うと、無責任な発言が増えます。また、金銭目当てに、より高く売れる新しい未知の「情報」を作りだすために嘘をついてしまうこともあります。このような無責任が横行すると、インターネットしいてはITの健全な発展に障害がでるようになり、社会はIT活用をためらうようになってしまうかもしれません。それを防ぐためにも、こういったモラル違反は許されません。IT社会も実世界の人間社会と同じように相互の信頼関係の上に成り立っているのです。

 以上、前回と今回で「情報」の様々な性質や特徴についてご説明しました。ITの問題や課題を考える時、この「情報」の特徴は答えを見つけるためのヒントになることが多いので、その都度思い出してみてください。

 

2020年03月22日