その16:ITが社会・生活に与える影響(その2)

ITが社会・生活に与える影響(その2)

 前回はITが私たちの社会や生活に与える影響のうち、「生活環境」と「コミュニケーション」の2項目についてご説明しました。今回はそれ以外の「価値感」、「ライフスタイル」、「政治」に対する影響について「情報産業(ビジネス)の特徴(その2)」として説明させていただきたいと思います。 ここで取り上げた3つの項目は特に影響が大きいと感じているものとして取り上げました。ITが実社会に与えている影響はこれ以外にも多くあり、またその影響度も増しています。皆さんの身近に迫っている影響について、常に注意し、検討することが大切です。


(3)価値観:

 過去の日本社会の価値観としてよく引き合いに出されるのが、1950年代後半の白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三つが『三種の神器』としてもてはやされたことではないでしょうか。まだ物質的にモノが不足しており、これらの製品は全家庭にいきわたっていませんでした。さらに、その後1960年代半ばの高度成長期と呼ばれる時代になると、カラーテレビ・クーラー・自動車の3種類の耐久消費財が、新・三種の神器(そのイニシャルの頭文字をとって「3C」とも呼ばれた)としてもてはやされました。これらの製品を所有することが一般的な日本人の共通の価値観でした。いずれも「モノ」であり、「モノ」を所有することが豊かさの証明でありました。しかし大企業による大量生産により、次第に「モノ」が街中に溢れはじめ、誰もが同じ「モノ」を持てるようになると、「モノ(ハードウェア)」の価値は低下していきました。そして、「モノ」への執着心の薄れは、「モノ」を売ってもうけてきた企業の売り上げを下げる要因となり、需要低下を低価格化が補おうとしたため、日本にはデフレ構造が根付いてしまったのです。その一方で、「情報(ソフトウェア)」に対する価値が相対的に高まり、現代は「情報化時代」とも呼ばれています。


図1:昭和の『三種の神器』(家電)
三菱電機株式会社のホームページより
https://www.mitsubishielectric.co.jp/club-me/washoku04/08.html

 ITはさらにそのモノの流通性を高め、ずっとそのモノを所有しなくても、必要な時に必要な時間だけ使うことができるようになってきました。その結果、複数の人でモノを共同で使いまわす「シェア」が新たな価値観として台頭してきています。そして、消費する対象は「モノ」ではなく「コト(サービス)」へと向かっているのです。かっては新・三種の神器の一角を占めていた「自動車」も、人を必要な時に必要な場所へ移動することが目的であり、必要のない時まで所有することの無駄が、社会や消費者に許容されなくなっているのです。
 価値観が変わった他の例としては、音楽を楽しむためのレコードやCDもあります。音を保存(録音)することはなかなか難しく、1877年にトーマス・エジソンが発明したアナログレコードが最初であり、まだ140年程度しか経っていません。それまでは音楽はリアルタイムで楽しむものであり、演奏家が演奏する場で聞くしか方法はありませんでした。中世後期に演奏されたクラシック音楽は、貴族や王族などごく限られた人がプライベートに楽しむものでした。それがアナログレコードの発明により、音を記録したレコードが大量に生産され、一般市民でも楽しめるものになったのです。そして、1960年代には日本でもレコードを所有し、視聴することが流行りました。レコードはレコードジャケットに入れられ、レコードジャケットにはミュージシャンの写真などがかっこよく印刷され、それを持ち、集める事自体が大きな楽しみであり、価値となっていきました。


図2:アナログレコードとレコードジャケット
株式会社ソニー・ミュージックソリューションズのホームページより
https://www.sonymusicsolutions.co.jp/s/sms/group/detail/0301?ima=0000&link=ROBO004

1980年代になると、メディアはアナログレコードからCD(Compact Disc)へと代わりましたが、CDが入ったパッケージを購入し、集めるという行動(「モノ」を所有するという行動)は変わりませんでした。しかし「スマートフォン」が普及し、音楽も「スマートフォン」経由でいつでもどこでも楽しめるようになると、中身(コンテンツ)を聞くことができれば、音楽を保存したモノ(ハードウェア)を所有することにはあまり価値を見出さなくなってしまいました。そして現在は「スマートフォン」のみを所有し、音楽を聞きたい時に再生して楽しむようになっています。それでも数年前までは音楽の情報(デジタルデータ)に関しては自分のスマートフォンに入れて所有していましたが、最近ではそのデータさえも持ち歩かず、音楽を聞く時にだけ、そのデジタルデータをインターネットで受け取って使うようになってしまいました(こ技術をストリーミングと言います)。アナログレコードやCD、さらにそのデジタルデータを所有するという価値観は無くなりつつあります。


(4)ライフスタイル:

 ITの影響は、生産者と消費者の境界を曖昧にしたり、人の価値観を「モノ」から「コト(サービス)」へシフトさせていることなどを説明してきました。そしてその影響は人々の生活の形態(ライフスタイル)までも変えようとしています。
 産業革命以後に築かれてきた大量生産の時代では、次の6つの原則が守られてきたと、米国の未来学者であるアルビン・トフラーは1980年に出版された彼のベストセラー「第三の波」の中で説明しています。6つの原則とは、①規格化、②分業化、③同時化、④集中化、⑤最大化、⑥中央集権化です。ここでトフラーが主張する「第三の波」の内容と、大量生産時代を支えてきた6つの原則について簡単に紹介したいと思います。


図3:未来学者のアルビン・トフラー氏
アイティメディア株式会社 ITmedia NEWS より
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1606/30/news115.html

 第三の波は現代社会を襲っている波です。これまで人類は、すでに二度にわたり波をかぶってきました。第一の波は、約1万5千年前に発生した農業化の波です。この波が全世界のホモ・サピエンスの社会に広がると、それまでの肉食は草食に変わり、計画的狩猟が可能となり定住化も進みました。この結果、まず家族の形として家長性が形成され、しだいに地域社会が生まれ、文明や国家も誕生していったのです。それを束ねるものとして、宗教活動や政治も行われるようになりました。しかし、基本的には自給自足の社会でした。
 第二の波は、約300年前に発生した産業革命の波としています。産業革命により工業化が進み、大量生産、市場主義、資本主義などを生み出しました。それを支えたのが6つの原則と呼ばれるものです。大量生産は生産者と消費者を明確に分離し、業務を細分化し、いろいろな分野毎に専門家が登場しました。第二の波では、家族の形として核家族を生み出し、あらゆる組織の中での階層化が進み、中央集権国家や官僚制も生まれました。国家は市場と資源を求め、他国への侵略を始め、帝国主義が幅を利かせました。そして、第二次世界大戦を経て現在到来しているのが「第三の波」だと言うのです。トフラーは第三の波を表す「キーワード」をあえて明言していません。書かれている内容から推測すると「情報化社会」とか「脱工業化社会」、「超産業化社会」などのキーワードが浮かびますが、いずれも第三の波を的確に表現するものではないと述べています。第三の波は複合的な波であり、一つの「キーワード」で表せるほど単純ではなく、また、この本が著作された1980年時点では、まだ全容がはっきりしていないと語っているのです。その波を動かすバックボーンとなる産業として、①コンピューター(「IT」や「情報産業」と同義と考えられる)、②エレクトロニクス、③宇宙・海洋、④遺伝子産業を挙げており、中でも「情報」は最も重要なビジネスであると述べています。「IT」や「情報産業」は第三の波を動かす原動力となっているのです。そして、第三の波は第二の波の6つの原則を攻撃している(影響を与えて破壊したり変えたりする)と述べています。
 6つの原則のうちの①規格化とは、規格化された「同じ物」を作ることを言っています。第二の波の社会では一般的だった、画一的で没個性的な側面を表しています。②分業化は、大量に早く物を作ることを効率的に行うために作り出された作業形態であり、作業を細分化することにより単純化し、作業速度を上げることを目的としています。分けることはいろいろな層で行われ、それまで自給自足で生産者=消費者の関係であったものを、生産者と消費者を明確に分離したのも分業化の一つの例であるとしています。③同時化は、これも大量生産を実現する手法の一つであり、分業化されたプロセス間を同時化(同期化)することにより、時間的ロスなくつなげていくことを言っています。トヨタ自動車のカンバン方式はこの一例です。④集中化と⑤最大化は大量に安価に物を作ろうとした時に、できるだけ大量の製品を大きな工場に集中させて一度に作った方が効率がよく、ビジネス単位を大きくすることを言っています。集中化した結果は労働力の都市集中を生みました。企業も自分の市場を拡大し、大企業になることを目指しました。「大きいことはいいことだ!」というテレビコマーシャルのキャッチフレーズが流行っていた時代です。⑥中央集権化は社会が分業化され複雑になっていくと、これを統制する組織は中央集権(ピラミッド型)が最も効率がよい形態であり、政治システムや行政システムも中央集権化が進むことを言っています。
 「IT」や「情報産業」はこれらの第二の波の6つの原則に影響を与え、変化を促そうとしていますが、ライフスタイルに対して与えている影響を考えると、この中の①規格化や②分業化、⑤最大化に対して特に大きな影響を与えていると思われます。第二の波の典型的で幸福な家庭像(ライフスタイル)は、核家族で両親とは別居しているが、父親は都市部の大企業に勤め、母は専業主婦として働き、二人の子供を育て、大量生産された画一化された製品(モノ)を所有して生活している。大企業は都市部に集中しているため、マイホームからは離れており、父親は通勤ラッシュに耐えて会社へ行き、細分化され専門化された業務をこなして給料を得る。そして、画一化されたタイムスケジュールによって帰宅する、といったものでしょう。しかし、第二の波の社会の「分業化」により分割されてしまった物の境界線を第三の波はあいまいにしつつあります。これまで製品は生産者から買うものだったのが、いくつかの製品は自分で作る社会になってきています。このように生産者が消費者にもなることをトフラーは「プロシューマー」と呼んでいます。このようなプロシューマーの中には、その分野のプロ顔負けの強者も出てきます。そうした人は、それを仕事にしたり、こずかい稼ぎをしたりするようになります。すると、仕事に対する考え方も変わってきて、大学卒業とともに入社した会社に定年まで働き続けるというこれまで主流であったあり方ではなく、転職に対するハードルも低くなり、兼業を考える人も多くなっていくのです。今、まさにこうした意識の転換が起きています。
 また、画一化され、没個性的な生き方に疑問を感じる人も多くなっています。ITによってもたらされる大量の情報は、人々に様々な生き方や、やり方があるという情報や選択肢を豊富に与えました。第二の波は主に「モノ」を主体に構築された社会であり、「モノ」を効率的かつ大量に生産するために最適化された社会でした。しかし、その結果、世界中に「モノ」は溢れ、地球という限られた土地の範囲で消費するには、それほど不足しなくなり、画一化された「モノ」を大量に生産する意義は薄れつつあります。むしろ、個性的で世界で自分だけのために作られた「モノ」に価値を見出すようになってきています。他人と「同じ」ということは批判され、「違う」ことが称賛されるようになってきています。それは生き方(ライフスタイル)にも同じことが言え、第二の波では主流であった他の人と同じような人生を送ることはむしろ批判の対象になってきています。現代は、より多様で、その多様性を認め合う社会になってきているのです。


(5)政治:

 民主政治において、メディアは常に世論形成の媒体として使われてきました。私たち大衆にニュースを伝えるという大切な役割は、これまで新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などのマスメディアが担ってきました。そして、そこでは「情報」に一定のフィルターがかかり、嘘の情報であるとか、偏見に満ちたニュースなどは、そのフィルターである程度除去するという役割も担っていました。政治家の主張などはメディアを通して大衆へ伝えられました。明治時代においては「新聞」が、大正時代になると中央公論などの「雑誌」がその役割を担ってきました。昭和に入るとそれまでの紙を媒体としたメディアから電波を媒体としたメディアに置き換わり、即時に多くの人々に対してメッセージを伝えれるようになりました。昭和初期には「ラジオ」で音声を伝えることができるようになり、第二次世界大戦後は「テレビ」が普及し、映像でメッセージを伝えることができるようになりました。ヒトラーはラジオを活用し、圧倒的な指示を獲得していったとされています。米国ではいち早くテレビ討論などが行われるようになり、世論は政治家の主張のみならず、そのルックスや人柄の印象などにも左右されるようになりました。ジョン・F・ケネディもテレビ討論会で、対抗馬でしかめっ面のニクソン氏に比べ若さとバイタリティをアピールし勝利したと言われています。日本でも1993年に誕生した細川内閣はテレビを上手く使って世論を味方につけて生まれたと言われています。このように、過去の政治において、政治リーダーはしばしばその時代のメディアを梃子(てこ)として使い、力を倍増することに成功してきました。そして、ITの代名詞ともなっているインターネットや「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」が新たなメディアとして登場すると、世論形成のメディアとしても使われるようになりました。しかし、これまでのメディアとは構造が異なるため、新たな問題も起こしています。従来利用されてきたマスメディアの情報は、情報発信者(政治家・新聞社・出版社)側から受信者(有権者・読者)側への一方通行でした。しかも、その情報発信者は素性を明らかにし、その発言(情報)には責任が発生していました。マスメディアも報道内容に誤りがあれば、その信用は失墜し読者から見放されることになっていました。しかし「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」は従来のメディアと異なり、情報の流れは一方向ではなく双方向です。一方的に情報発信者側が叫び続けるのではなく、情報を受けた有権者や読者も発信し、そこでも世論が生まれるようになりました。しかし、その情報を発信した有権者や読者は基本的に匿名であり、発言が激しく極論に陥りやすく、最悪の場合には嘘の話(フェイクニュース)まで飛び出す危険性があるのです。また「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」は共感のメディアと呼ばれ、共感する者同士がつながるメディアです。そうなると、共感が先にあるので同じ方向性の議論に陥りやすく、そのグループではかなり思想的にも偏った意見もまかり通ってしまう危険性があります。しかもその意見は実際に賛同する人間の数以上にネットの力でバイアスがかかってしまい、少数の意見が本流になってしまうことさえあります。欧米では政治の分断が進み「民主主義の危機」を招いているとの声も強くなっています。さらに、その有権者や読者は政治的に関係する自国の人間ではない可能性もあります。「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」の情報は国境も何もない「サイバー空間」で行き来するため、世界中の誰でも参加したり操作できてしまいます。また、「情報」の拡散速度が従来のメディアに比べて早くより広範囲であるため、いろいろな政治的な発言は他国へも拡散し、他国に政治利用される危険性もあります。米国ではトランプ元大統領が当選した大統領選挙において、ロシアが関与していたのではないかという疑惑が消えていません。フェイスブックも選挙影響を与えるための広告をロシア関係者が掲載したことを認め、対応策を検討しています。トランプ大統領はツイッターを使って発信していましたが、その発言内容が問題となり、ついにアカウントの永久凍結となってしまいました。


図4:ツイッターのアカウントを永久凍結されたトランプ氏
BBCニュース・ジャパン ホームページより
https://www.bbc.com/japanese/55583622

 以上、ITが社会や生活に与える影響について、主なものを思いついた範囲で2回にわたり説明しました。しかし、ここに記載した内容は多くの影響のうちのごく一部分です。例を挙げればきりがないほど、ITは現代社会に多くの影響をもたらしています。私が記載した例を参考に、皆さんの身の回りに起きているITによる影響を是非考えてみてください。そして、これから先、さらにどんな影響が起きるのか?先読みをすることがとても大切です。一歩先に行って波を食い止めるのか、またはその波に乗って大きく飛躍するのか、それとも波に飲みこまれてしまうのか、そこが分かれ目になります。



2021年01月24日