その1:IT(情報技術)って、何だ?

「IT(情報技術)」って、何だろう?

 初回のテーマは、まずこれにしたいと思います。何を今さら・・・、と思う人も多いと思いますが、これからITを考えていくうえで、まずそのスタートポイントを合わせておきたいと思います。
言葉の定義を考える場合、やはり頼りになるのが「辞書」ですよね。さっそく辞書の代表格である岩波書店の広辞苑で調べると、
【情報技術】(information technology)コンピューターや通信など情報を扱う工学およびその社会的応用に関する技術の総称。IT ・・・岩波書店 広辞苑 第七版より
と、あります。
 思わず、なるほど!と言ってしまうような、簡潔で正確な定義です。つまりITとは技術の総称であって、そこに含まれる技術は1つではなく、たくさんある・・・ということです。

 私はITの説明をする時に、最初によく次のような質問をします。『あなたにとって、もっとも身近な「IT(information technology)=アイティー、情報技術」とは何ですか?』すると、とてもいろいろな答えが返ってきます。「コンピューター(電子計算機)」、「パーソナル・コンピューター」、「銀行のATM」、「テレビゲーム」、「インターネット」、「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS:social networking service)」、「スマートフォン」、「クラウド」、「IoT(Internet of Things)」、「人工知能(AI:artificial intelligence)」などなど。ITとはそれだけ幅が広い言葉であって、他人と話しをする時も、「IT」と言っただけでは何を意味しているのか、人それぞれで違うことがあり、誤解の元になることもあるのです。また、この質問に対する答えは、見事に年齢層によって、違いや傾向が出ます。戦後のベビーブーム世代の60代以上の方であれば、「IT」と言われてまず頭に描くのは「コンピューター(電子計算機)」、「パーソナル・コンピューター」、「銀行のATM」といったところではないでしょうか? 10代~30代の若い世代では、「インターネット」、「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」、「クラウド」や「スマートフォン」といった回答が多くなります。実はこれらの答えは、「IT」が持つ一つの大きな特徴(性質)を反映しているのです。その特徴とは、「ITに関連する技術の性能向上のスピードが指数関数的に速い」ことです。詳しい話は、また別の回の本ブログでご説明するとして、この性能向上のスピードが速いという、ある意味やっかいな特徴(性質)があるため、IT技術やIT製品はそう何年も同じ形で存在することができません。製品にはライフサイクルがありますが、IT関連製品のライフサイクルはとても短く、数年~10年もすると、製品の形そのものが変わってしまうほど変化したり、消滅してしまったりします。現在、毎年10億台以上も生産されているスマートフォンですが、数年後には別の製品が主流の座を占めてしまっているかもしれません。また、昔は1つの部屋ほどあったコンピューターが、今では腕時計の中に入ったり、イヤフォーンの中に入ってしまったりしているのです。そのため、先ほどご説明したように、年代別に大きく答えが変わってしまうのです。これはIT産業の宿命なのです。よくIT産業と比較される自動車産業においては、ここまで急激な製品の変化はありません。今のところ、現代のクルマもフォードが量産した時の自動車の形と同じように、車輪はだいたい4つで、エンジン駆動で動き、ハンドルで方向を制御する方式の延長線にあるのです。これに対し、「IT(情報技術)」は年代とともに形を変え、常に大きく変化し続けているため捉えどころがないのです。

 私は1955年生まれなので、現在60代を迎えています。そして、私は約40年にわたり(つまり人生のほとんどの時間を)「IT」に関わってきました。私の中でITと出会ってからその関わりがどのように変化していったかをご紹介し、ITの歴史を簡単に振り返り、ITの中身がどのように変わってきたかをご説明したいと思います。

 私が最初にITと出会ったのは(その頃はITなどという言葉はまだ使われておらず、ITとして認識したわけではありませんが・・)、1963年に日本で最初の本格的な連続テレビアニメーション番組として放映開始され、小学生の時に夢中になった手塚治虫の「鉄腕アトム」だと思います。

©TEZUKA PRODUCTIONS 「手塚治虫オフィシャルサイト」より

(https://tezukaosamu.net/jp/manga/291.html)


 私は兄弟とともに、毎週その放映時間になるとテレビにかじりつくようにして観たものでした。まだテレビが全世帯にあるわけでもなく、私の家のテレビもまだ白黒テレビで、テレビが私達子供にとって最先端のハイテク製品だったころの話です。この鉄腕アトムは精巧に作られたヒューマノイド型(人間型)ロボットでした。鉄腕アトムは、ある博士の子どもが交通事故で亡くなってしまい、その悲しみを埋め合わせるために作られた、人間の子供の身代わりロボットだったのです。そして、驚くべき仕掛け(鉄腕アトムの7つの力)がたくさん埋め込まれていました。その一つが電子頭脳(今で言う「人工知能(AI)」)であり、おそらく、この鉄腕アトムの電子頭脳こそ私が初めて「IT」に興味を持った対象だと思います。今から60年近く前の時代に描かれたアニメに、今、話題になっている「人工知能(AI)」のことが描かれていたのです。世界で初めて「人工知能(AI)」の研究が始まったのは、1956年に米国で開催されたダートマス会議(Dartmouth Conference)であると言われています。そんな世界でもまだ議論が始まったばかりの研究テーマが数年後の日本のアニメに載っているのが驚きです。さらにその電子頭脳はアトムがいろいろな経験を積み重ねるたびに進化し、自分の意志を持ち、感情も身に付け、涙を流して泣くことさえできたのです。これらは現代の人工知能研究においても大きなテーマ・課題になっている内容であり、手塚治虫さんの科学者としての知見の深さを改めて感じざるをえません。幼少時にこのような良質のコンテンツに触れることができたことに感謝するしかありません。また、この漫画には、未来都市の絵もでてきました。そこに描かれていたのは、空を飛ぶクルマであるとか、コンピューターなどでした。コンピューターは、いろいろなインジケーターがピカピカ光り、テープレコーダーのようなものがクルクル回っていました。何かよくわからないけど、とにかくすごい物だ、カッコいいと心を躍らせました。そして、将来このような科学技術に関わっていきたいという漠然とした憧れのような気持ちが芽生えたのです。

 さて、そのころ日本のITはどのような状況にあったのでしょうか? コンピューター製品で見てみると、1955年に米国IBMが商用機として初のトランジスタを採用したコンピューターIBM608を発表しています。富士通、日立、日本電気などの日本メーカーもそれから遅れること数年後の1960年までに製品発表をおこなっています。コンピューターを使った社会システムとしては、1960年に日本国有鉄道(現JRグループ)のオンライン座席予約システム(MARS-1)が営業を開始しています。JRグループはいろいろな業務のオンライン化を積極的に進めてきており、世界でもトップクラスの情報システムを作り上げてきています。最初のMARS-1は、一部の特急電車の座席予約をオンライン化したものでしたが、その後機能拡張が継続的に行われ、全ての列車の座席予約をできるようになりました。このシステムができる前は、夏休みの帰省のための列車の切符を購入するのも大変な作業でした。私も母に連れられ、最寄りの渋谷駅までバスで向かい、切符の販売窓口に並びました。帰省予定の客が、それほど多くない切符販売窓口に並ぶのですから、その行列は長いものでした。そして順番がきて希望の列車と必要枚数を窓口の駅員に伝えると、駅員がどこかへ電話で状況を確認し、その結果(座席番号など)を厚紙でできた切符に手描きで書いて渡してくれました。これだけ苦労して買った切符なので、それを手にした時はとても嬉しかったのを覚えています。こんな感じだったので、切符を買うだけで半日もかかってしまうほどでした。1960年には「情報処理学会」も設立されており、この頃は、日本のコンピューター時代の幕開けの時期でした。
 1970年代前半(私の高校生時代)には、高校の授業でも物理の時間の一部で少しだけコンピューター(当時は「電子計算機」と呼んだ)の内容が入っていました。NHKのテレビ講座でも「コンピューター」が取り上げられるようになり、大学では「コンピューター」を学びたいと思うようになったきっかけにもなりました。コンピューターも少しずつ身近な存在になってきたころです。1970年代後半になると、私もいよいよ大学に進むことになりました。しかし、そのころ、私が目指した大学にはまだ「コンピューター」を含め情報系の専門学科がありませんでした。電気工学科と情報通信学科の中に「コンピューター」を学べるコースがあるということで、こちらの学科を選択しました。大学では、基本的な「情報理論」や「アルゴリズム」、「プログラミング言語」などを教えてくれました。大学には、IBMの大型コンピューター(メインフレーム)が導入されており、プログラミングの実習で使うことができました。当時は、プログラムをコンピューターに読ませるためには、紙でできたカードで入力する必要があり、カードパンチャーと呼ばれるタイプライターのような機械でカードを作成しなければなりませんでした。しかも、コンピューターを使えるのは、1日1回と決まっており、間違ったプログラムを作らないように細心の注意をして実行する必要がありました。まだ、コンピューターがとても高価で貴重だった時代なのです。
 大学の生協は時間つぶしには都合のよい場所でした。そこでは小型の「電卓」が売られるようになり、その機能を比較しては、どこの電卓がいいとか悪いとか仲間で評価したものです。しかし、悩みのタネはいつも「いつ、どれを買うか?」でした。機能や性能は毎年のように向上し、当初は四則演算にプラスアルファの機能(10演算程度)しかなかったものが、そのうち三角関数や対数計算などができるようになり、卒業するときには簡単なプログラミングもできる機種まで登場したのです。最新の電卓を購入しても、1年後には別の機種に追い抜かされてしまいました。それほど安い買い物ではなく、1年待てば同じ値段で倍ぐらい機能がある電卓が買えてしまうのです。結局、あるタイミングで最新機種を購入しましたが、その優越感は1年しかもちませんでした。電卓は、実験のレポート作成などで大活躍しましたが、試験の時の持ち込みはほとんどの科目で禁止されていて試験では役に立ちませんでした。電卓は禁止だけれど、アナログな計算機である計算尺なら持ち込み可能という科目もありました。私達の中にも「電卓」のようなIT製品を使いすぎると、頭が悪くなる、という都市伝説まで存在していました。いつの間にか、そんな意識も薄れ、現在も電卓は幅広く使われていますが、四則演算のみの電卓であれば、100円ショップでいつでも買えるようになってしまいました。

以上、ご説明したように、1960年代~1970年代後半は、日本のコンピューター時代が幕開けし、大型汎用コンピューター(メインフレームとも呼ぶ)がITの中心にあった時代だと言えます。これがITの最初の大きなうねりでした。

と、いうことでITの変遷について説明していますが、だいぶ長くなってしまいました。ダラダラ長いと読むのも疲れると思いますので、すみませんが、今回はここで切らせていただいて、1970年代後半以降のお話しは次回にさせていただきたいと考えます。まったく無計画な感じで申し訳けありませんが、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。きっとこれからもこんな感じだと思います。

【追記】前回の初回ブログで、ブログタイトルを「ITコンサルタントのITよもやま話」とすると書いていましたが、「よもやま話」というタイトルがすでに多くのサイトで使われているので、あまり被らない方がよいと思い「みんなのIT」ということにします。私のポリシーでもある、「より良い「IT社会」を目指す」ためにみんなで考えていく、という意味をこめてこのタイトルにしました。よろしくお願いします。

2019年08月13日